昭和44年10月13日 夜の御理解               中村良一



私共の、考え方というものが、あー、立派な考えをしておるようであっても、年をとってみて、えー、段々、あの時分の考えは、甘いものであったなというように、段々分かってまいります。えー、例えば、青年の方達の思い方、それはもう、大人になったつもりでおりますから、考え方はもう、間違いのない、健全な考えのように思っておりますよね。えー、けれどもその、それを、少し年取ったものから、あー、考えると、甘い甘いということなんです。かといって、ほんなら、今度は、私共の思いでも、そうであります。やはり、思い方が甘い場合がありますから、ここんところは、本当に、何時も慎重にいって、まあ、いうならば、えー、先輩の話を聞くとか、また、お取次ぎを頂いて決定するとかという様な事が、あー、一番、先決でなからなきゃならんと。今度の、今日の、あの問題でも、初めから、あのー、例えば、こういう事を思い立っておりますからと言うて、お取次ぎでも頂いておったら、それに対する御理解を頂いておったに違いがないですよね。私は、ようやく、昨日、その、その事に対するお知らせを頂いたぐらいですからね。寿司の中の、その、具が、あんまりに多すぎるものですからね。えー、その、もう、扱うたら崩れそうな感じなんです。それが、例えば、今日、話が、ああしてまとまるまでのものであった。本当に、扱えば崩れるような感じであった。あまりに、具沢山で、具が沢山であったということ。いま、ほんなら、椛目の、三百円づつ、その、何か間違いによって、抜いたとか、抜かなかったとこという、その問題でも、やっぱり、その、みんなの青年の方達の考えが、もうほんとに、えー、大人になったつもりで考えておる、その思い方が甘いのである。けれども、私は、そういう事もですたい、けれども、お取次ぎは頂かずにおっても、なら、ここの若先生なら若先生、それなら末永さんたちが、あーその、やったことに対する、そういう事をと、こう思うけれども、やはり、よくよく煎じ詰めていきよると、私の、祈りの圏内だという事。ほんなら、今日の、ああいうような、(まくわだくなった、?)あの問題のことでも、あー、言うならば、私の祈りの圏内で、そういうことが起きておるという事であるから、そういう事を通して、本当な事が、段々分からせられるというところに、信心の教導の素晴らしさという物を、合楽では感じますですね、何時の場合でも。今日も、あわや、二つになれというようなところだったでしょうが。それが、あのように、スムーズに、そして、一番素晴らしい、そのスタイルで、その、例えば、園遊会を持たれるといったような話しになったんですね。なら、今晩の、椛目の青年の話でもそうです。たまたま、その話から、端を発して、あらー、そんなことじゃったですかと言うて、分からせて頂いて、事、まあだ、それがなされずに、ほんなら、その金をお返しすることが出来るような、お繰り合わせを頂いておるという事はです。やはり、私の祈りの圏内のなかで、甘いことも辛いことも、やっぱ、あっておったんだという事が分かります。その事を、只今、私、お礼申させてもらいよりましたらね。先日、私は、テレビを見よりったら、どっかの、飴のね。飴の、飴玉です、飴玉の宣伝がありよります。あの、包んであるのを、両方をぱっと引っ張ったら、中が、ぽろっと出てくるような、飴の、包装の仕方があるんですよね。あの、紙に包んである、パラフィン紙か何か、綺麗な紙に。それを、両端を、普通は、こうこやってむかなきゃいけないのです。それでもこう、引っ付いたりするとがある訳ですけども、その、昨日、宣伝しとった飴の、それはですね。両方の端をつまんで、ぱっとこう、引っ張ったら、中から飴がコロコロッとこう、転げ落ちるように出来ておるんです。何か、不二家かなんかの飴の宣伝だったと思います。それを頂くんですよ。ね。で、いうなら、紙は神でしょう。中は飴ですから甘いものなのです。いわゆる、甘い甘い考え方であるようだけれども、やはり、合楽の祈りの中に包まれておるんだと。だから、いよいよの時には、ぱっと引っ張りゃ、もう、飴と、甘いものと紙とはもう、コロッと別になってしまう。べたべた引っ付いとる事がない。あー、合楽の、やっぱりおかげだと、こう思います。他所であったら、どういう事になるか分からない問題でも、事、前にです、そういうようにお繰り合わせを頂いておるという事は、そういう、甘い内容の事柄の中からでも、信心を育ててくださる、本当なことを分からして下さろうとする、神様の願いというか、働きを感じんわけには参りません。だから、ここで、とやこういう事は、あっぱり、一つもいらん事になるんですね。ちょっとこう、ね。引っ張ったらというかね。なら、私が、ちょっとこう、引っ張ったら、問題はさらっと解決する。しかも、甘いものと、紙とが、たっと、離れてしまうようなね。おかげを頂けておる。けれども、これは、まあ、いうならば私がおるからであります。だから、それが出来るのは。そこで、お互いの考えがですたい、ね。そういう自分の包蔵しておる内容というかね。中に包んでおるというものがです、ね。私は、確かめて、上にも確かめて、えー、行く。その上には、先輩にも相談をしてみる。または、お取次ぎを頂いて、ことを運ばなければ、やはり、そういう、いや、困った結果が生まれてくるんじゃないかと。どちらだって、そうでしょうが。このたび、椛目で、こういうことを思い立ってございますがと言うて、お取次ぎでも頂いてからの事に、しなかった事が、そのミスの元であり、なら、今度の園遊会の事だってそうである。お取次ぎを頂いて、それがなされておったらです。そら、ちょっと、あんた達の思い方は、どうも、具が多すぎるごたるよと、頂いたら、また改めて検討する。そういう問題の起こる前に検討が出来ただろうと、こう思うんですよ。ね。如何に、私共の思いは、やはり甘い。甘いけれども、その甘い思いをお取次ぎを頂いて。または、先輩に相談するように、または、年をとった人の話を聞いてみるというようなことが、欠けておったのではなかろうかと。それが、大事だというふうに思うんですね。どうぞ。